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三橋 とら(みはし とら)  【 東京都公認ヘブンアーティスト】

 

生年月日: 1983年6月7日

血液型:0型

 

東京都の下町、荒川区出身。

劇団員だった両親の影響を受け、幼稚園で演劇に目覚める。

小学校六年生のとき、念願の演劇クラブを立ち上げる。

中学、高校と演劇部に所属し、卒業後は劇団に入団する。

 

東京、千葉、大阪で劇団生活を送る。

その後、沖縄へ移住をするが

再び役者の道を目指し東京へ出戻り。

 

・・・しかし、役者仲間から

『声に特徴がありすぎて、どの役もしっくりこない』

ということから、舞台役者を諦め

話術を磨くため「実演販売士」に転身する。

全国の百貨店でダイ○ンの掃除機や某有名洗剤を売りまくる。

 

「紙芝居を使った実演販売」が話題になり

「いっそのこと紙芝居屋になってしまえ!」と独立。

 

大好きな動物をモチーフに紙芝居を作りたい!と

上野動物園の案内係をしながら「生きた話」を取材し

実在する動物たち(カバ・サル・クマなど)のドキュメンタリー紙芝居を制作、上演しはじめる。

 

2011年、大地震をきっかけに「人の記憶・記録」を心に残す紙芝居が作れないか、模索しだす。

2012年、一大決心をし、北海道旭川市へ移住。

絵本作家のあべ弘士さんのギャラリーに入り浸り、動物や自然、絵や酒について学ばせていたく。

2014年、故郷(東京荒川区)に帰省した際、変わりまくるジモトの姿に絶望感を抱く。

子供の頃に通った銭湯、駄菓子屋が軒並み無くなり

駅前には高層ビルが建ち並ぶ。

あの大好きだった「下町」はいずこへ・・・?

しかも、我が地元荒川区は「紙芝居発祥の町」だとこの時に知る。

 

北海道から後ろ髪をひかれるようにして三度目の帰京。

現在は、北海道の仲間と繋がって紙芝居を制作し

全国各地で上演している。

 

ちなみに、「三橋とら」は芸名である。

(“フウテンの寅さん” から、劇団時代に友人がつけてくれたあだ名)

 

 


 

【オマケ】

 

私が幼少のころ、母の活動が記事になりました。

 

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母(メガネ)の横で

ぱっちんどめをしたアンパンマンのような顔をしたのが私。

このころの写真では仲のいい“家族”に見えますが

このあと、母子家庭になりました。

母も父も、マダ若く、

わたしのことは「できちゃった結婚」

母は、父と毎日のようにケンカをしていました。

「アンタさえ、生んでなければ・・・」

この言葉に、どれほど泣かされたことでしょう。

本当は、望まれないで生まれた私。

「生まれてこなければ・・・」と、何度思ったことか。

私がなぜ紙芝居をやっているかというと

どこかで、「生まれてきた理由」を

探しているのかも、と、今でも思います。

私は、私の紙芝居を、こういう風に思っています。

私の紙芝居を観てみんなが笑わなくってもいい。

100人の内

たった一人

わたしと同じ、ひとりぽっちで傷ついている、おとなや、こどもが

笑顔になってくれたなら。

そんな思いで実は紙芝居をやっています。

だからわたしの紙芝居は、時々暗くて

説明が長いのです。

「泣いた赤鬼」や「ごんぎつね」が好きなのは

あの赤鬼や、ごんたちと、どこかで分かりあえる気がするからでしょうか。

ここまで読んでくださった皆様には

そんなことをお伝えしておこうと

そっと加筆しました。

読んでくださり ありがとうございます。

2018年12月1日

三橋 とら 拝